前回から引き続き、観光船に生まれ変わった後の「讃岐丸」による「秋のイベント船」を
御紹介します。題名のリンクはそのイベントの広報パンフレットです。 |
1.大三島周遊 観光船「讃岐丸」にとって、一番運航した年の多かったのはこのイベントです。 コースは、高松港−大三島(宮浦港)−大山祗神社見学−大三島−高松港。秋の大三島は紅葉も美しく、 とても落ち着く場所です。 2.西日光周遊 コースは、高松港−大三島(瀬戸田港)−耕三寺見学−大三島−高松港と、大三島を観光する コースだったようです。コース中の瀬戸田港は、「讃岐丸」の生まれ故郷(内海造船瀬戸田工場) でもあります。 このイベントは平成4年以降春のイベントとして行われました。 3.船上月見茶会 名月鑑賞船の後継にあたると考えられます。このイベントに関しては当時の資料が無い為、 詳細まで分かりませんが、高松港発着の3時間周遊コース(現在の瀬戸大橋付近を周遊) だと思われます。 4.想い出航海 平成8年、「讃岐丸」の引退に伴うイベントとして運航されました。高松・今治・新居浜・松山・ 徳島の各港からの周遊コースで、9月から11月迄の間、9回にわたり運行されました。このイベントが 「讃岐丸」最後の秋のイベント船となりました。 |
(上図:「大三島周遊」で大三島に接岸中の「讃岐丸」[平成4年11月]) (上図:「想い出航海」で直島水道を航行する「讃岐丸」[平成8年9月]) |
この急行「鷲羽」は、「山陽新幹線新大阪〜岡山間開業30周年記念」に合わせて 平成14年3月30日に新大阪〜宇野間で復活運行されました。 |
毎年5月の第4土・日曜日に宇野港で「たまの港フェスティバル」という「海・船・港」を
テーマにした大きなイベントが開催されています。このイベントは今から6年前に「変わり行く宇野港を
皆に見て貰おう」という目的から、官民一体で始まりました。毎年各地の客船や海上自衛隊の護衛艦、
帆船が宇野港に集合してクルージングや一般公開を行います。陸地でも「海・船・港」に因んだ
多数のイベントを地元のボランティアサークルが中心となって運営しています。本會も第2回より参加しており、
展示は勿論ゲームを企画し、連絡船を知らない世代にも
親しんで貰えるように工夫しています。特に来年は「宇高・青函連絡船廃止15周年」から、
大きな催し物を企画中です。 (上図:港フェスティバル本會ブース) |
さて、今から92年前の明治43年6月12日は「宇野線・宇高連絡船の開設日」です。当時も宇野港一帯では、
大規模なお祭りが行われました。「宇野港物語(山陽新聞社刊 平成元年)」によれば、港一帯は
様々な店が連なり、盛大な祝賀会が行われたそうです。一漁村に過ぎなかった宇野村にとって、
宇野築港と四国連絡としての拠点地となった事に対し、相当な期待を寄せたことでしょう。 しかし宇野は「拠点地」よりも、むしろ「乗り継ぎ点」としての色が強く、一攫千金を狙った 商店主達の出入りは激しかったそうです。そのような中で、昭和初期に一部の商店主達が客寄せの 為に打ち上げ花火を打つ事を思いつき、ここから「港まつり」 が始まりました。このイベントは戦時〜終戦直後を除き、昭和44年まで続きました。このイベントが終了した 原因として、当時の宇野港は鉄道連絡船以外にカーフェリーや貨物船の出入りが増大し、飽和状態に なっていたことが挙げられています。また、主体であった地元の築港商店街の経済情勢の変化も一因 でした。 これは他の港でも言えることかも知れませんが、「港が成長する時、人の集まる大きなイベントが 行われる」ような気がします。だとすると、現在再開発を進めている宇野港も新たな展開を見せるのでは ないでしょうか?「宇高連絡船」という歴史を語りつつ・・・。 |